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動物園で、ありのままの動物たちの生活や行動、しぐさの中に「凄さ、美しさ、尊さ」を見つけ、「たくさんの命あふれる空間の居心地の良さ」を感じてほしい。家畜・ペット種との触れ合いを通じて「命の温もり、命の尊さ」を感じてほしい。そして、野生動物の保護や環境問題を考えるとき、動物たちは私たちと対等な生き物なんだと思うきっかけになれる、そのような動物園でありたいと思っています。
本園の理念である「伝えるのは、命」という言葉には、このような思いが込められています。
動物たちと一緒の楽しい時間が過ごせ、美しい動物たちの素晴らしい能力に感動し、自らの「生」を実感できる環境を作ります。
動物園ガイドや動物教室、野外観察会、出張授業などを通して、野生動物たちが置かれた現状を知り、人の暮らしと彼らとの関わりを子どもから大人まで広く学べる環境を作ります。
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絶滅危機にある動物たちを計画的に繁殖することで動物種を保存し野生回帰を視野に入れるとともに、動物たちの故郷である地域や地球の自然保護に思いを馳せられる環境を作ります。
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国内動物園で初めて繁殖に成功した動物園に送られる賞を繁殖賞と言います。本園では、ホッキョクグマをはじめとして20の繁殖賞をこれまで受賞しています。
繁殖賞受賞動物一覧の詳細はこちら
動物を飼育することで得られるデータを活用し、野生動物の保護、人獣共通感染症の研究、人と動物の共生等に生かせる環境を作ります。
旭山動物園のシンボルマークは、雪の結晶と北方系の動物であるエゾシカをモチーフにデザインされています。このマークは開園(昭和42年)時に日本を代表するグラフィックデザイナーであり版画家でもある遠藤享氏によってデザインされました。
旭山動物園には珍しい動物はいません。動物園に当たり前にいる動物や北海道に身近にいる動物です。全ての動物にはそれぞれ本来持つ素晴らしさがあります。本園ではその特徴的な能力や行動、感性を発揮できる環境を作り、それを見せる展示方法を目指しています。こうした展示方法がいつしか「行動展示」と呼ばれるようになりました。
飼育動物にとって居心地が良く、それぞれが本来持っている能力や行動、感性を引き出すことを主眼に考えて施設の設計・建築をしています。珍しさではない全ての動物を平等に、人と動物が近く同じ空間にいる居心地の良さを感じられるヨーロッパの動物園らしさと傾斜地に立地する旭山の特性を生かし、限られた空間を有効活用する日本の動物園らしさを融合した新たな価値観を生み出した展示施設と各分野から高い評価をいただいています。
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本園の施設整備の原点ともいえるのが14枚のスケッチです。昔から旭山動物園の飼育スタッフは理想の動物園の思いや夢について、夜遅くまで話し合ってきました。この頃に描かれた夢の動物園のスケッチのいくつかは、その後、実現していくことになります。多くのスケッチのうち、現存するものがいつしか「14枚のスケッチ」と呼ばれるようになりました。14枚のスケッチの続き、夢の動物園はまだ続きます。
参考記事 14枚のスケッチ
飼育スタッフは、担当動物の本来持っている能力や行動、感性を引き出す展示方法を日々研究するとともに、人に言葉では伝えることができない動物と来園者との架け橋になる存在を目指しています。地道な活動が動物園のファンを増やし、動物や環境保全のことを考えるきっかけになれればと思っています。スタッフが変わってもその思いは今も脈々と受け継がれています。
飼育スタッフが動物にまつわる話や解説を直接来園者の皆様に行う時間です。飼育しているからこそ動物の凄さや素晴らしさを伝えられるのではないかという思いで始めました。
園内にある飼育スタッフ手作りの説明看板です。飼育スタッフが伝えたいことがぎっしりつまっています。
日本最北の動物園として開園した旭山動物園は、多くの旭川市民と各地からの来園者に親しまれてきました。下の参考記事からは開園からの1年ごとの歩みを見ることができます。
参考記事 旭山動物園の歴史(旭山動物園ヒストリー)・トップ
旭川市に動物園を作ろうという動きは昭和30年代(1955年頃)からありましたが、具体化したのは1964年でした。候補地は、旭山、神楽岡、神居、春光台などの中から、桜の名勝地である旭山公園に隣接し、市内や大雪の山々が一望できる旭山が選ばれました。当時の建設のテーマは「日本のどこにも見られない北方特有の動物園に」そして「北国の短い夏を動物と楽しみながら存分に満喫できる開放感のある動物園に」。ところが、厳しい市財政のなかで、議会では時期尚早との意見もあり、一票差でのぎりぎりの可決でした。その頃、市民の熱い思いから旭川市動物園建設協力会、動物園アイディア協力会も生まれて、市民ぐるみの運動となっていきました。こうした中で、旭山動物園は当初の予定より一年遅れて1967年に北海道3番目の動物園として開園を迎えました。
市民とともに歩み、市民のためにと始まった旭山動物園は、珍しい動物が喜ばれる時代、遊具ブームの時代等、時代の流れとともに様々な取組を行ってきました。遊具ブームも落ち着いた1994年には園内でエキノコックスが発生し、年度途中で一時閉園となりました。それに続き、1996年には来園者数も当時全盛の約60万人(1983年)の半分以下の26万人まで減り、廃園の噂も流れました。
1997年からは14枚のスケッチに描いた施設が現実となっていくことになります。その後、入園者数は回復し、2003年に北海道で一番の入園者数、2004年には、月間(7・8月)で日本一の入園者となり、2007年・2008年には年間入園者数300万人を突破しました。
300万人から10年以上が過ぎた現在でも、市民の皆様のほか、市外や外国の方を合わせて毎年140万人前後のお客様にお越しいただいています。来ていただき、支えていただいている皆様のおかげで、地方動物園のひとつだった旭山動物園の取り組みにも大きな注目をしていただけるようになりました。旭山動物園ではいつの時代も動物園として伝えられることは何かを考えてきました。
今後とも旭山動物園らしさを追求し、動物の「凄さ、美しさ、尊さ」、北海道の身近な野生動物と人の関わり、そして地球全体の環境保全を感じてもらえるよう展示方法、ガイド、教育活動等、様々な分野で活動していきます。旭山動物園は歩み続けていきます。
2003年に完成した本園のイメージソングです。毎日の開園時に流れています。
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