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昭和61年頃から、飼育係たちは、動物園の思いや夢についていろいろなことを話しあっていました。 どんどんアイデアが出てきて、夜遅くまで話し合うこともありました。 当時は飼育係で、現在は絵本作家のあべ弘士さんが、みんなの考えをまとめてイラストにしました。 いつか自分たちの理想の動物園になることを夢見て。
この頃はアクリルの技術がなく、継ぎ目があります。当然、円柱水槽もありません。 新素材の開発が新しい施設のアイデアにとって不可欠であることが、分かります。
このイラストを元に現在の施設は作られています。風見鶏も描かれています。
トラ、ライオン、ヒョウなど、配置は、現在に生かされています。開放的な施設が印象的です。 イラストにはオオカミがいます。当時はオオカミも飼育していたからです。 現在はそこにヒグマが飼育されています。もうじゅう館を建設する時には、すでにオオカミは飼育していませんでした。 新施設・オオカミの森は、来年(平成20年)にできあがる予定です。
このイラストに描かれている泳ぐホッキョクグマなどは構想のとおりです。 左図が新築の場合の考え方で、放飼場を2か所用意し、異なる展示を行おうとしていました。 ここから、足下から見るホッキョクグマなど、3次元展示のアイデアを加えたのが現在の施設です。 右図は、旧ホッキョクグマ舎を大改装する場合の計画でした。
このイラストも現在の中2階部分に生かされています。ペンギンの泳ぐ姿を真横から見せる展示方法です。 あざらし館と同様にアクリル技術がなく、イラストには継ぎ目があります。水中トンネルもありません。
このイラストは、ほぼ現状と同じです。なお、チンパンジーの部分は、新施設「チンパンジーの森」として実現されました。
このイラストは、現在の総合動物舎をリニューアルする計画を示しています。この時代、ゾウを2頭で飼育することに疑問はありませんでした。その後、旭山動物園は、動物本来の生活スタイルを尊重しなければならないと考え、ゾウは群れ飼育することとしました。その結果、イラストの中からゾウを除いたアフリカ生態園を整備し、ゾウは単独の施設で整備しようと考えています。
この時代に飼育していたアカハナグマやオセロット、カピバラなど南米産動物がカピバラを除いていなくなり、くもざる・かぴばら館が南米産動物の代表みたいになっています。しかしながら、南米大陸に生息する野生動物は極めて特異的で魅力的なものが多く、将来的には実現したい動物舎のひとつです。
これらのイラストは、前3枚が「どさんこ動物館」で最後が「立体海鳥館」として描かれています。1枚目は、オコジョやクロテンといった小型ほ乳類と野鳥の展示方法、2枚目は、ヒグマとキタキツネ、エゾタヌキのジオラマ展示、3枚目はガンカモ・サギなどの水鳥と野鳥、エゾリスなどさまざまな北海道産動物のなかへ人が入っていくパススルー方式の展示となっています。3枚目の考え方はととりの村に生かされました。4枚目の立体海鳥館は北海道周辺に生息する海鳥の暮らしを展示しようとするものでした。 これらの考えを統合し、さらに無脊椎動物や魚類、両生類を加えたものが、「石狩川水系淡水生態館」の考えとなって引き継がれています。なぜ、石狩川かというと、ぺんぎん館をスタートさせる時に、「マリンランド計画」という考えを、まとめました。これは、地球は水の惑星、地球は水で一つに結ばれていることを表現し、自然保護の原点を旭山動物園からのメッセージとして伝えようというものです。旭川に降った雨は、旭川周辺の森を育て、森の恵を集めて石狩川となり、水生昆虫を初めとして多くの動物たちを育み、石狩の海に注ぎ、磯焼けのない豊かな海を育てます。その豊かな北海道周辺の海でアザラシは仔を産み育て、その海は海流によって北極海へと繋がり、ホッキョクグマの生息する北極圏の海にまで影響を与えています。そして、北極と南極は海底の流れを通じて繋がっていると考えられ、南極に暮らすペンギンの暮らしとも関わっているのです。 「ペンギン、ホッキョクグマ、アザラシといったすばらしい動物たちのために私たちができること、それは、私たちの足下、この旭川の自然を大切に守ってゆくことなのです。」というメッセージを石狩川水系淡水生態館から発信したいと考えています。
そして、1989年に「旭山動物園のあり方」として報告されたのです。しかしながら、この計画書は当初、誰にも顧みられることなく、毎年予算要求の前の前、それ以前の段階で閉じられ、存在すら知られていませんでした。ところが、1996年のこども牧場建設予定が認められ、続いて旭山動物園の再設備が進められる中で、1999年に、旭川市旭山動物園基本計画書として旭川市議会に正式の報告をされ、ようやく陽の目を見るようになったのです。 計画が作られてからのたび重なる挫折に、イラストは1枚抜け、2枚抜け、現在残っているものは14枚しかありません。この残されたイラストは「14枚のスケッチ」というタイトルでドキュメント番組に登場し、一躍脚光を浴びるようになりました。これも歴史の証人なのかも知れません。
現在、副園長の坂東さんに、「イラストは20枚近くまでになったといいますが、ここには無い消えていったスケッチとは、どのようなものがありましたか。」と質問をしました。 すると、「この14枚以外には、夜行獣館や、は虫類館などのスケッチもあったよ。今は、無いけどね。」と言いました。「動物の施設についてのいろいろな参考文献などを読んで、勉強もしたよ。他の動物園に行って、自分なら、この動物だったらどうしようか、と考え、見学したなぁ。」「昔、外国の動物園にも行っていて、その時、日本の動物園との違いなど考えていた。」と教えてくれました。このようなことが、何枚ものスケッチをするのに力になっていたそうです。 ホッキョクグマ飼育担当の牧田さんは、スケッチを見ながらこう言いました。「一番最初は、俺と坂東で考えていた。そのあと、小菅園長と絵本作家の阿部さんが加わったんだ。叶わないと思ったから、落書き同然でたくさん描いた。現在の14枚のスケッチは、実現する可能性があると考えて、阿部がしっかりしたスケッチにしたんだ。」「俺は、アフリカ生態園と海鳥館に力を入れていたなぁ。アフリカ生態園には、ゾウ・カバ・ダチョウ・シマウマを展示して、東アフリカ・ケニアのイメージで作りたかったんだ。放飼場には、マサイ族の家も展示して。」スケッチの中にある三角屋根の小屋のことだと聞いたとき、マサイ族は、牧田さんがするの?なんて考えてしまいました。また、「海鳥館は、人工波のある長い大きなプールにしたかったんだ。お客さんの見ている所から、放飼場の岸辺へ打ち寄せる波、そして、波に揺られながら、プカプカ浮かんでいるウミウやオロロン鳥、エトピリカが観察できる施設を考えていたんだ。」とニコニコしながら話してくれました。
そして、園長は「俺は、理論家だから字も絵も下手くそだが、○(丸)を積み重ねて絵を描くんだ。阿部さんは、ほめてくれたが、牧田さんは「何だ、そりゃ」と無視していたな。俺の芸術性を理解していないんだ。俺たち3人は同世代、坂東は、ひとまわりも下なのに、よくついてきたなぁ。あの頃の勉強が今に生きてるんだろうね。」と懐かしそうに話してくれました。
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