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令和7年度いのちの青年弁論発表原稿(芳賀 尋子さん)

てのひらの誓い

旭川藤星高等学校3年 芳賀 尋子
 とってもあたたかくて、ほんのりミルクの匂い。くりくりの瞳と目を合わせると、手のひらサイズの顔がぱっと明るくなる。その笑顔を見るだけで、今日を頑張ろうと思える。
 私には年の離れた妹がいます。去年生まれた小さな命。そんな妹の毎日は、命ってすごいと思わせてくれます。でも、私は知っています。命は永遠に続くものじゃない。命はいつでも簡単に、奪われてしまうことがあるということを。
 
 去年の冬、私は高校のプログラムの一環で、ニュージーランドに留学しました。子どもが大好きな私は、託児所でお手伝いをしました。よく遊んだのは、まだ一歳にならない男の子です。彼を迎えに来たのは、私と同い年で、黒いスカーフ姿の少女でした。名前はルーワン。中東・シリア出身で、引っ越してきたのは1年前だといいます。
 それは、ルーワンと互いのことを気兼ねなく話せるようになった頃でした。「シリアにいた頃の生活を教えて」。ただ何気なく聞いたことでしたが、ルーワンは涙を浮かべ、唇を強く噛みしめたのです。
 2011年、シリア内戦の激化により、ルーワンは一家そろって、難民となることを余儀なくされました。彼女はしきりに言っていました。「ニュージーランドは平和だけれど、とてもつまらない。シリアが恋しい。でも、帰れない」。壊された日常、過ごせなかった青春。弟を幸せそうに迎えた家族の、本当の姿を知ったとき、私に衝撃が走りました。
 
 私の母が亡くなったのは、私が七歳のときです。癌でした。どん底だった私に父はそっと寄り添ってくれましたが、それでも私は周りの家庭が羨ましくてたまりませんでした。お母さんのいる家庭、一家揃って楽しげな家族。そのすべてが妬ましく感じられました。
 ルーワンの家族もまた一見、幸せそうな家族でした。しかし、ルーワンの過去を知り、私は胸が締めつけられました。
 
 ルーワンはふと弟の小さなてのひらを握って言いました。「彼はね、シリアのことを全然知らないの」。
 私ははっとしました。ルーワンの弟は、異国の地で生まれた子。姉は戦争のリアルを知り、弟は、姉の故郷すら全く知らない。弟の黒い瞳は、無邪気に笑っていました。平和な国に生まれた彼には、姉と違って戦争を知らず、傷を負わずに生きていってほしい。生まれた土地も、ふるさとも違う姉弟。
「弟には、弟のふるさとを持って生きてほしい。もう涙は見たくないから」。
 帰国前に聞いた、彼女の切なる願いです。
 
 悔しかった。姉だけがふるさとと、青春を奪われたこと。それが、防ごうと思えば防ぐことのできる、戦争という名の「人災」だということ。どうしてその犠牲を、しかたがないと言えるでしょう。幸せな弟に嫉妬することなく、幸せに生きてほしいと願えるのは、ルーワンが痛みと苦しみの当事者だからです。しかし多くの人は、見て見ぬふりをする。まるで「天災」と決めつけるように。それでは、戦争はいつまでたってもなくなりません。
 無関心ではいけない。幼きこれからの命を守るため。もうルーワンには、自分の過去を語ることで心をえぐってほしくない。境遇は違うけれど、痛みを知る私が彼女の重荷を少しでも背負いたい。私は弁論を通して彼女の代弁者になろうと決めました。
 
 私とルーワンの過去は変えられません。しかし、私と彼女は気づいています。変えられるものが一つだけある。それは、笑っている赤ちゃんたちの、手のひらサイズの未来です。
 ふるさとのないどん底も、母のいないどん底も乗り越えた同い年の姉。小さなきょうだいの、手のひらサイズの笑顔を守ること。この誓いを守ることが、姉としての役目なのだと強く信じています。どん底からでなければ、見えないことがある。それぞれの未来を、きょうだいを通して明るくしたい。癒やしたい。だから私は彼女とともに、小さな命にほほえみ、そして語り続けます。