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旭川叢書 「きたの動物園-旭山のすてきな仲間たち-」から 著者 菅野 浩
平成9年、旭山動物園30周年記念の時に刊行された本(現在は絶版)の中から、 抜粋して動物たちや園でのお話を紹介していきます。
↑飼育係の阿部(左)・坂東(中央)・坂野(右)の三人で行っています。坂野さんはとても緊張しやすくて、ちょっとでも間違ってしまうと頭が真っ白になってしまったそうです。
飼育係が、自分の担当している動物たちについて、入園者の前で話をする「ワンポイントガイド」を始めようと提案したとき、最初は飼育係たちからは猛反発を受けてしまいました。 いわく「飼育係は、動物たちをきちんと飼育管理して、繁殖に努力することが仕事で、話をするなんて、そんなことは自分たちの仕事ではない」という空気が大勢で、「いったい何を言いだすんだ」という雰囲気でした。なかには「俺は人と話をするのが嫌いだから、黙って仕事をしていればよい飼育係になったんだ。それを、人の前に出て話をしろなんて、とんでもない話だ」という人もいました。 私が、それまでの、動物達の世話をしていて動物達のことだけを考えていればいい飼育係の立場から、園全体のことを考えなければ考えなければならない立場になったときに、改めて考えたことは、“動物園とはいったい、何をするところなのだ”ということでした。それまでも考えていなかったというわけではありませんでしたが、改めて考えてみようと思ったのです。 そして、動物たちや彼らの生活する自然生態系をもっと多くの人たちに知ってもらう橋渡しの役割を基本にしようと考えました。 飼育係たちは、自分たちの担当する動物たちについて、実によく勉強しています。野生での生態から、他の動物園でのこれまでの飼育データなど、時には日本国内だけでなくアメリカやヨーロッパの動物園の例なども参考にしながら、自分たちの飼育管理のやり方などを検討します。 この豊かな知識を、自分たちだけで大事にしておかないで、入園者にも提供したいと考えたのです。そのことによって、入園者が少しでもより動物たちへの理解を深めて、動物たちに親しめるようになることが期待できると考えたのです。 動物園が市民にとって、“年に1回、子どもたちを連れて来れば、それでそれで親としての義務を果たすところ”ではなく、親たち自身にとっても、楽しくて興味があって、“何回でも足を運びたくなるような施設”になることができればいいなと思ったのです。 そのためには、動物園の側から動物たちに関する情報を、市民の皆さんにどんどん提供していく必要があります。そして、それができるのは飼育係で、彼らこそが適任なのです。 「飼育係は、自分の担当する動物たちを、健康に事故なく飼育管理して繁殖に努力するだけでは、十分ではないと思う。自分の担当する動物たちが入園者や市民にどう受けとって観てもらえるかを考え、こういうふうに観て欲しいというメッセージを込めた働きかけが必要だと考えている。そのために飼育係が入園者に話しかけるのだ。飼育担当者こそが、その動物についての最も良い教師なのだ」などと説得を重ねました。 動物園の教育活動は、一部の特定の人がだけが担当して一生懸命やっていて、他の人たちは全く知らん顔ということではなく、動物園の事業として、全員が参加して役割を決めて実施したいと考えていましたので、全員の同意を得て実施が決まるまでに半年かかってようやく決定しました。なかには不承不承の人もいたようですが、とにかく全員で実施することになったのです。 こうして、その当時の動物園のなかでは画期的とも言える、全国でも初めての飼育担当者がガイド役をつとめて入園者に直接話しかける「ワンポイントガイド」がスタートしたのです。
昭和61年から始まった飼育係による30分程の講座でこの年は全部で22回行われました。ほとんどが屋外の動物舎の前で行うため、雨の日はたいへんで、参加者が3名というドシャ降りの日もありました。 飼育係の牧田さんは、当時のことを思い出して、話してくれました。 「この日はさる山のワンポイントガイドで、朝から雨が降っててお客さんが少なかったんだよ。そんな雨の中、ガイドを始めたんだけど、アベック1組と1人しかいなくってね。」 そして、「貴重なお客さんだから、他の飼育係が周りを囲んでお客さんが途中で逃げないようにしてたよ。」と教えてくれました。 また、こんな日もあったそうです。 昭和61年、旭山動物園が閉園する最後日に、牧田さんはエゾリスのワンポイントガイドをしました。その日は、朝からお腹が痛かったのですが、あまり気にしてはいませんでした。そして、エゾリスのガイドをしているうちに、どうにもならなくなってガイドが終わった途端に病院に行ったそうです。検査をした結果、虫垂炎を通り越して腹膜炎になっていたのです。もちろん、その後は1ヶ月間の入院でした。牧田さんは、「ああ、腹が痛かったから今でもよく覚えているよ。忘れられないね。」と苦笑いをして言いました。 今度は、飼育係の深坂さんに聞きました。 ワンポイントガイドでしゃべるのが苦手だったから、動物に餌を与えていたら、小菅現園長(当時、係長)に、「それ、定期でできないか?」と言われました。そして、これが現在旭山動物園で行っているもぐもぐタイムにつながっていったそうです。 飼育係の辻栄さんは、 「ワンポイントガイドのある日は、緊張して朝から食事がのどを通らなかったよ。ガイドが終わって、やっと、ほっとして飯を食べれた…。」 「ライオンのワンポイントガイドをしたときに、解説をした後にライオンを寝室の方に入れてから、お客さんをライオンのオリに入れたこともあったよ。ライオン側からの視点をみてもらいたかったんだ。」と教えてくれました。昔のもうじゅう舎は、真っ黒い重厚な雰囲気の檻で、いかにもという感じでした。普段は絶対に入る事なんてできない檻の中で、ライオンの気分を味わえたのではないでしょうか。お客さんには、好評だったそうです。
当時、予算もなく、コアラなどの珍獣ブームの煽りをもろに受けていた時代でもありました。旭山動物園の入園者数も減っていくばかりでした。ワンポイントガイドを行うにも人が少なすぎたり、最後まで聞いてくれず、途中で帰ってしまうこともあったようです。飼育係たちは、どうしたらお客さんの足を止めることができるのかいろいろと検討しました。園内からお客さんをかき集めたり、チンパンジーと綱引きをしたり、 しゃべりたくない飼育員が、ヘビを体に巻き付けて、「さわってごらん。」と入園者にヘビを触れさせたりもしたそうです。また、紙芝居風にガイドをしてみた飼育係もいました。 この年から、旭山動物園に来た坂東さん(現副園長)は、 「先輩の飼育係たちは、手に原稿を書いたり、カンペを作っている人もいたなぁ。」 「みんな、職人気質でしゃべるのが苦手で、自分もだけどね、苦労はしたよ。でも、ワンポイントガイドを通して、伝えることの楽しさと難しさを知ったよ。」と言っていました。
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