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旭山動物園について

旭山動物園ヒストリー・読み物 旭川叢書「きたの動物園」(1)

旭川叢書

「きたの動物園-旭山のすてきな仲間たち-」から

著者 菅野 浩

平成9年、旭山動物園30周年記念の時に刊行された本(現在は絶版)の中から、
抜粋して動物たちや園でのお話を紹介していきます。

昭和43年(1968) チンパンジー「ゴクウ」と「チャメ」

チンパンジーの「ゴクウ」と「チャメ」は旭山動物園の開園にあわせて来園しました。ゴクウは4歳くらいで、チャメは2歳ぐらい、どちらも雌です。公募によっての命名ですが、雌なのにどうしてゴクウとつけられたかは不明で、雄と勘違いしてしまったという説が有力ですが、よくわかっていません。2頭は片時も離れず、姉さんのゴクウは小さいチャメの面倒をよくみるやさしさをみせ、チャメはだっこちゃん人形のようにゴクウにくっついていました。
当時の動物園では、動物を調教して芸を見せることに人気があり、入園者を増やす手段と信じられていました。しかし、現実には動物ショウが面白いからといって、それを見るためにわざわざ動物園まで足を運ぶ人はそれほど多くはありませんでした。
旭山動物園でも、ゴクウを調教して芸を見せることになりました。調教はまず、人に馴らして命令に従うようにすることから始めるのですが、ゴクウはよく人に馴れ、命令にも従う訓練はすでにできていました。そこで、後肢で立って歩くことから始めました。園内を飼育担当者と一緒に掃除用のバケツを持って二本足で歩いているゴクウの姿を見かけた方もいると思いますが、これも訓練の一つでした。
二本足で歩けるようになると、次には芸の特訓に入りました。綱渡り、竹馬乗り、三輪車、自転車、オートバイ、テーブルマナー、逆立ち、と飼育担当者とゴクウの忍耐強い努力によって、利口なゴクウは次々とマスターしていきました。そしてそれらを園内ステージで披露して大人気を博しました。

-悲しい出来事-

昭和43年の夏の暑い日の午後、いつものようにゴクウとチャメが飼育係に手を引かれて、園内を散歩していました。可愛い2頭に人気が集まり入園者がたくさん集まってきました。
飼育係がちょっと気をゆるした時、1人のご婦人が「ウァーかわいい、これあげる」とチャメに食べかけのソフトクリームを差し出したのです。人を疑うことのないチャメは、受け取ってパクッと食べてしまいました。あっという間のできごとで止めるひまもなかったのです。その夜からチャメは下痢をはじめてどうしても止まりません。二日間泊まり込んで手を尽くして治療したのですが、しまいには血便を出して苦しみながら、治療の甲斐なく死亡してしまいました。現在なら良い治療薬なども豊富にあり、助けることができたかもしれません。助けることができなかった自分の非力に悔しい思いを噛みしめました。
可愛いと思って自分の食べかけのソフトクリームを食べさせたご婦人の何気ない行為がチャメの命を奪ってしまう結果を引き起こしたのです。私たち日本人には、動物を可愛がることを、頭をなでたり、抱き上げたり、そして餌を与えることだと勘違いしている人が多いようです。動物たちに、かわいいからといって餌を与えることが、どのような結果を招くかをもっと考えなければならない。悲しい教訓の事故でした。

その後の「ゴクウ」

昭和50年2月、ゴクウも年頃になり、おびひろ動物園からオスの「キーボ」(現存)が来園しました。
二歳ほど年下のキーボは先住権のあるゴクウに頭が上がらず、成長してゴクウより立派な体格のオスになっても、何かあるとすぐゴクウの陰に隠れて頼り切っていました。
しかし、ゴクウは妊娠しても流産ばかり。待望の赤ちゃんがうまれるには、まだしばらくの年月がかかったのです。