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旭山動物園について

旭山動物園ヒストリー・読み物 昭和55年

ペンギンとアスペルギルスの事件(昭和55年冬)

ペンギンの写真

むかしむかし、ぺんぎん館ができる20年ほどむかし。
旭山動物園でもフンボルトペンギンを飼育していました。
しかし、ある事件によりフンボルトペンギンを飼育しない事になりました。
その事件とは。
現在はぺんぎん館となっている所にペンギン池があり、フンボルトペンギンはそこで飼育していました。
このペンギン池は池と陸地だけのつくりでした。
ご存じの通り、フンボルトペンギンは寒さに弱いペンギンです。当然、このような施設では越冬する事ができません。冬は越冬舎に移動し、多くの動物たちと一緒に、密閉された室内で飼育していました。
しかし、その密閉された室内がアスペルギルス菌の温床となっていたのです。
アスペルギルス菌はどこにでもいる常在菌で、特に病原性が強いというわけではないのですが、体調を崩すなどして免疫力が低下していると呼吸器に感染し、重篤な肺炎を引き起こします。
特にペンギンの仲間で発生例が多く、治療も難しいため、アスペルギルス症と言えば「ペンギンの肺炎」といわれるほど、大きな問題となっています。
半年間に渡り、越冬期間中アスペルギルス菌の胞子を吸い込んだペンギンたちの死亡が相次ぎ、総羽数を上回るほどでした。
その後、ペンギンだけの越冬施設を市に要望しても聞き入れてくれず、動物園では、いつか温度管理ができ、ペンギンたちが安心して暮らせる施設ができるまでペンギンを飼育しないという決意をしました。そして昭和55年の冬、最後に残った2羽が死亡し、旭山動物園のペンギンの飼育は一時終了となりました。
この苦い経験が、将来14枚のスケッチとなり、平成12年のぺんぎん館に繋がっていくのでした。
その後、主のいないペンギン池はカルガモやワモンアザラシの飼育場所になり、昭和61年からはカピバラの飼育場所となりました。