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旭山動物園について

旭山動物園ヒストリー・読み物 旭川叢書「きたの動物園」(3)

旭川叢書
「きたの動物園-旭山のすてきな仲間たち-」から
著者 菅野 浩

平成9年、旭山動物園30周年記念の時に刊行された本(現在は絶版)の中から、
抜粋して動物たちや園でのお話を紹介していきます。

ハスキー犬 植村直己さんからの贈りもの

ハスキー犬の写真

ようこそアンナ

1976年6月、北極圏の1万2000キロメートルを犬ぞりで踏破して話題になった植村直己さんが、行動をともにした犬たちのうちの4頭を日本に連れて帰りました。ハスキー犬たちは暑さが苦手ということで、日本で一番北の旭山動物園と、おびひろ動物園で飼育することになりました。リーダー犬で群れのただ1頭の雌の「アンナ」と一番年少の「イヌートソワ2号」が旭山動物園に、「イヌートソワ1号」と「イグルー」がおびひろ動物園に贈られました。
「私のこの犬たちをもらっていただいて、どうも。」小雨の降る千歳空港で、雪焼けの残る笑顔で植村直己さんの、出迎えた私たちへの最初の挨拶でした。4頭の犬たちも、過酷な北極圏1万2000キロメートルを踏破してきたとは思えない、静かさと落ちつきで私達と対面しました。いかにも従順で忍耐強そうで、しかも人なつこいその目付きから、吹雪と氷の酷寒のなかを、空腹と闘いながら走り抜いた逞しさと、厳しい自然のなかで共に生命をかけて闘って来た信頼を読みとることができました。
暗い吹雪の吹き荒れる氷原を、ただ、ひた走りに走る。どんなに寒く凍てつこうと、足の裏のマメがすり減り、尖った氷に引き裂かれて血を流そうと、何日も食べずに空腹に目がまわろうと、走りつづけなければ、彼ら犬たちも、そして人も生命の保障はありません。走れなくなれば、それは死を意味していました。「暗い氷原のなかで“犬たちが無事に走ってくれるか”そればかり思って走ったような気がします。」と植村さんは語ってくれました。「疲れ切ってもうソリを引けなくなった犬は、引綱を解いてやるんです。しばらくはソリについて走って来るのですが、だんだん遅れて、しまいには走れなくなって、ジッとこっちを見ているんですよね。」そんなときの、どうしてもやれない気持ちはたまらなかったといいます。「だって、それまで一生懸命ソリを引っぱってくれたわけでしょう。だから……。」と絶句した彼の気持ちが、痛いほど伝わってきました。
「犬たちがいたから、犬たちが走ってくれたから、目的地まで着くことができたし、生きて帰ってこれたんだと思っています。だから、旅が終わったとき、どうしても犬たちを残して日本に帰る気持ちになれなかったんです。けど、9頭全部連れて帰ることはとてもできない話しなので、この4頭を全部の代表のつもりで、無理して連れて来たんです。でも僕の生活では、この犬たちを飼ってゆく余裕はないですし……。」植村さんの話は、アンナたちと同様に、少しの気負いもおごりもありませんでした。
「アンナたちは、北極圏1万2000キロメートルを走破するという過酷な労働をしてきました。普通の犬たちの平均寿命ほどは生きられないと思います。残された余生をできるだけ静かに楽しく過ごさせてやりたいと考えていました。旭山動物園の環境はぴったりです。アンナたちも幸せです。どうぞよろしくお願いします。」植村直己さんは、こう言い残して、アンナとイヌートソワ2号を私たちに託して帰って行きました。

その後…

ハスキー犬「アンナ」と「イヌートソワ2号」は動物園でも人気で、旭川冬まつりにヤギやロバと共に「出張」したこともありました。
2頭は旭山動物園でたくさんの子犬を産み、静かな余生を過ごしました。そして、1979年頃生まれた子どもたちとその孫たちを、おびひろ動物園に譲渡して旭山動物園でのハスキー犬増殖計画は終止符を打ちました。
その後、イヌートソワ2号は1985年3月、アンナはその翌年の7月にその一生を閉じました。