水のはなし(下水道編その16) 旭川市の下水道の歴史
旭川市の下水道の歴史
(創設期の下水道工事)
戦後、急激な人口増加と生活様式の変化に伴い、生活排水が増加したことや水質が悪化したこと、さらに化学肥料等の普及によって、し尿の農地還元方式が崩されたことから、衛生的な市民生活を確保するため、昭和33年から管渠工事と処理場工事に着手、昭和39年に亀吉下水終末処理場(現亀吉雨水ポンプ場)の運転が開始されました。
昭和51年には西部下水終末処理場(現下水処理センター)の建設に着手し、昭和56年に運転開始、周辺5町(東神楽・鷹栖・比布・当麻・東川)を含めて共同処理を行うことになりました。
その後、下水道整備の拡大を進め、下水道処理人口普及率(旭川市に住んでいる人のうち、下水道を使える人の割合)は約97%(令和4年度末現在)となっています。
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