彫刻美術館だより vol.12 (2026年8月発行)

情報発信元 文化振興課

最終更新日 2026年8月31日

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タイトル

彫刻美術館だより Vol.12

館長よりごあいさつ

「見る」ということ
先日、当館では祝日講話「はじめての『見ないで出会う』鑑賞会」を開催しました。私自身が進行役となり、参加者の皆さんと一緒に、目で見ることだけに頼らず、触覚や想像力を手がかりに彫刻を鑑賞する試みです。
普段、美術館では作品に触れることはできません。今回は、作品の一部に実際に触れながら、冷たさや硬さ、滑らかさ、重さなどを感じ、その印象を参加者同士で語り合いました。同じ作品に触れても、感じることや思い浮かべることは人によってさまざまです。その違いを聞くことで、自分一人では気づかなかった作品の姿が見えてくることもありました。
参加者からは、「触覚で視るとはこんなにも楽しいとは」など、感覚を通じた鑑賞の新鮮さや、見え方・感じ方の広がりを喜ぶ声をいただきました。私自身も、彫刻はさまざまな感覚や想像力を働かせることで、より豊かに感じられるものなのだと、あらためて気づかされました。
美術館で作品を見るとき、私たちは知らず知らずのうちに「正しい答え」を探していることがあります。作品について間違ったことを言ったら恥ずかしい、知識がないと楽しめない、と思ってしまうこともあるでしょう。
作家や時代背景を知ることで見えてくるものは確かにあります。しかし、「こう見なければならない」という知識が先に立つと、自由に感じたり想像したりすることの邪魔をしてしまうこともあります。「見ないで出会う」では、分からなくて
もいい、感じたことをそのまま話していい、というところから作品と向き合いました。「私はこう感じた」という一言が、作品との新しい出会いを開くことがあります。
美術館は、答えを知る場所だけではなく、自分なりの感じ方や見方を見つける場所でもあります。これからも、さまざまな角度から彫刻と出会う機会をつくりながら、皆さまと一緒に作品の新たな魅力を探していきたいと思います。
館長 南雲 貴史

催し・講座

各イベントの申し込み・詳細についてはこちらから

旭川彫刻散歩

今年度は北海道立旭川美術館などで長く学芸員を務め、日本近現代彫刻の研究に従事してきた寺地氏を講師にお招きし、解説を聞きながら、大雪クリスタルホールや忠別橋公園、旭川駅構内(ステーションギャラリー)などに設置されている彫刻作品を歩いて鑑賞します。ぜひご参加ください。
実施日:令和8年9月12日(土曜日)
集合:午後1時30分から午後3時30分
申し込み・詳細は当館HP

美術館クラブ (後期)

学芸員の仕事体験や彫刻の作品制作、缶バッチづくりや身近な小物を石膏で型取りなど、美術を楽しく学ぶプログラム。
日程:全5回 (初回9月20日) 10時から11時30分
対象:小学4年生から中学生
参加費:2,000円(全5回分)

学芸員の美術史講話

「まちを飾る―フィレンツェ、サン・ジョヴァンニ洗礼堂青銅扉装飾コンクール」15世紀のフィレンツェで行われた洗礼堂の青銅扉装飾コンクールを事例として、この時に制作された彫刻作品の造形的特徴や彫刻によって「まちを飾る」都市装飾の歴史的背景を紹介します。
日時:令和8年9月19日(土曜日) 10時から11時30分
対象:どなたでも(小学3年生以下は保護者同伴)

ぼくのわたしの小さい秋みつけた

テラコッタねんどで台座をつくり、その上に秋をテーマに作品を仕上げていく。作品は陶芸窯で焼成します。美術館で展示した後に参加者に返却します。
日時:令和8年9月26日(土)午前9時30分から午後13時
講師:堤生野先生(野焼きオブジェ作家)
参加費:500円
対象:小学生(3年生以下は保護者同伴)

季節はずれのなんちゃってパフェ

粘土、画用紙、毛糸などの素材を使ってパフェをつくります。 
日時:令和8年9月27日(日曜日)
講師:旭川市立大学短期大学部 こども地域学科 椎名ゼミナール
対象:3歳から小学4年生
主催:旭川市立大学短期大学部こども地域学科椎名ゼミナール
共催:中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館

西洋美術小話

彫刻と絵画のパラゴーネ:命を与える技(3)

ブロンズィーノが活動した16世紀の美術界においては、紀元前にまでさかのぼる古代や同時代等の先行作例を参照し、自らの作品に取り入れることが積極的に行われていました。そうした行為は、先達に対する敬意の表明であったり、先行作品をより素晴らしいものにできるという競争心の現れであったり、あるいはそれまでの美術の歴史を知っているという教養の表明でもありました。ブロンズィーノ《ピュグマリオン》(1530年頃)の場合は、パラゴーネの文脈を意識して、石から彫り出された女性人物像には先行する大理石彫刻を参照し描いたことが指摘できます。
今回は、画面左側に描かれた女性像の参照元を具体的に見ていきましょう【図1】。前回見たように、女性像は、左手で下半身を覆う桃色の布を体の前で抑え、右手はひじを曲げて肩のあたりで何かを握り込むような形をしています。下半身は左足をまっすぐに伸ばし右膝を緩く曲げるコントラポストの身振りをしています。体の前に手や腕を置き、自らの裸体を恥じらい隠そうとする身振りには、「ウェヌス・プディカ(恥じらいのウェヌス)」と呼ばれる古代ギリシア以来の伝統があり、フィレンツェには《メディチ家のウェヌス》と呼ばれる古代の大理石彫刻が伝えられていました【図2】。この彫刻の正確な発掘年代は不明ですが、ボッティチェッリ《ウェヌスの誕生》(1485年頃)【図3】に描かれたウェヌスの身振りから、その制作年代の頃までには《メディチ家のウェヌス》がフィレンツェで見ることができ、それ以降、女性像の身振りの一つの定型として「ウェヌス・プディカ」の身振りが定着し、ブロンズィーノまで至ったと言えます。
この身振りのほかにブロンズィーノが参照した作品として、ミケランジェロの《ダヴィデ》(1501-04年)が挙げられます【図4】。ダヴィデは、肩まで持ち上げた左手に巨人ゴリアテを倒すための投石紐を握り、体の横に下ろした右手は、直角に曲げた人差し指とまっすぐに伸ばした親指で何を持っているか判然としませんが、何かを握り込んだ形をしています(右手には石を持っている、投石紐の端を持っている等諸説あります)。ブロンズィーノは《ダヴィデ》の左右の手を反転して作品に取り入れることで、古代の大理石彫刻だけでなく、同時代の大理石彫刻もまた鑑賞者に想起させることを意図したのでしょう。古今の大理石彫刻にみられる身振りをひとつの女性像に統合することで、ブロンズィーノは、先行する彫刻作品・彫刻家よりも生き生きとした人物像を表現することのできる着色の技を称揚すると同時に、自身の画家としての技量も古代や同時代の彫刻家よりも優れていると主張することも意図していた解釈できます。
女性像とは対照的に、彫刻家ピュグマリオンには、ブロンズィーノの絵画の師であったヤコポ・ダ・ポントルモが16世紀初頭に制作した絵画作品とその準備素描に着想源が求められます。次回は、ピュグマリオンの着想源であった作品を検討し、ポントルモとブロンズィーノの師弟関係について紹介します。
図1図2図3図4
図1 ブロンズィーノ《ピュグマリオン》(部分)1530年頃、板に油彩、81.2 x 60 cm、フィレンツェ、ウフィツィ美術館
図2 《メディチ家のウェヌス》紀元前2世紀後半-紀元前1世紀初め、大理石、高さ153cm、フィレンツェ、ウフィツィ美術館
図3 ボッティチェッリ《ウェヌスの誕生》(部分)1485年頃、カンヴァスにテンペラ、172.5 x 278.5 cm、フィレンツェ、ウフィツィ美術館
図4 ミケランジェロ《ダヴィデ》1501-04年、大理石、高さ517cm、フィレンツェ、アカデミア美術館
 

中原悌二郎の生涯  コラム2-2 悌二郎の家はどこにあったのか? 

中原悌二郎が養子として暮らした家は、旭川のどこにあったのでしょうか

先月号では、悌二郎が暮らした家は「2 条通5 丁目66 番地」ではなく、「1 条通5 丁目右7 号・8 号」だったかもしれない、というお話をしました。
明治43 年(1910 年)の地主名簿では、1 条通5 丁目の地主は一人だけで、茂助が家を借りていたとされる人物の名前は見当たりません。ただ、大正3 年(1914 年)に悌二郎が療養のため旭川へ戻った際、翻訳家や友人?と写った写真が残っており、そこに写る人物のご親族から「茂助は家を借りていたようだ」というお話も伝えられています。両家には親しいお付き合いがあったのかもしれません。
こうした資料を重ねると、いくつかの可能性が見えてきます。伝記の「2 条通5 丁目」は、お店や借家、あるいは戸籍上の住所を指していて、実際の住まいは「1 条通5 丁目」だったのかもしれません。あるいは、養子になった頃と療養のため戻った頃とで、住まいそのものが変わっていた可能性もあります。

中原悌二郎

郷土博物館当時の調査記録には

郷土博物館当時の調査記録には、茂助の本籍地が明治41 年(1908 年)に「2 条通5 丁目66 番地」へ、昭和8 年(1933 年)には「1 条通5 丁目右8 号」へ移ったと記されています。大正7 年(1918 年)の悌二郎と妻・信の手紙にも、本籍地として「2 条通5 丁目右3 号」とあります。ただ、戸籍上の住所と実際の暮らしの場所が同じとは限りません。また、明治41 年の徴兵検査で旭川へ戻った悌二郎が友人・高野正哉に宛てた手紙の差出人住所は「旭川町1 条町5 丁目8」。ぴったり一致はしませんが、この頃1条通のあたりから手紙を出していたことがうかがえます。大正10 年(1921 年)3 月の悌二郎の死の少し前、同年1 月に養母・ヨシが、大正8 年1 月には養女キクが亡くなっていますが、両名とも死亡場所は「1 条通5丁目右8 号」と記録されています。
こうして見ていくと、大正3 年に悌二郎が療養していたのも「1 条通5 丁目右8 号」だった可能性がかなり高そうです。ただ、幼少期に暮らした家については、今のところ確かな決め手が見つかっていません。
資料や証言を照らし合わせながら少しずつ謎を解き明かす――そんな作業も、郷土史の楽しみのひとつだと感じています。

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お問い合わせ先

旭川市教育委員会 社会教育部文化振興課中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館

〒070-0875 北海道旭川市春光5条7丁目
電話番号: 0166-46-6277
ファクス番号: 0166-46-6288
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受付時間:
午前8時45分から午後5時15分まで(月曜日(月曜日が祝日の場合は翌日)及び12月30日から1月4日までを除く)