彫刻美術館だより vol.11 (2026年7月発行)

彫刻美術館だより Vol.11
館長よりごあいさつ
ぬいぐるみが教えてくれたこと 第2回
先日、当館では「夏のぬいぐるみのお泊まり会」を開催しました。皆さんの大切なぬいぐるみをお預かりし、閉館後の美術館や市内の文化施設を巡る冒険を楽しんでもらう企画です。
第1回は受付開始からわずか1、2分で定員に達したため、今回は抽選制としましたが、それでも定員の約 13 倍ものご応募をいただきました。残念ながら今回も多くの方にご参加いただくことができず、心よりお詫び申し上げます。一方で、この企画を楽しみにしてくださる方がこれほど多くいらっしゃることを、大変うれしく感じています。
前回のこの欄では、人がぬいぐるみに愛情を寄せる心は、「形あるもの」に思いや願いを託してきた人類の営みとつながっているのではないかと書きました。彫刻もまた、その本質はぬいぐるみを大切に思う気持ちと、どこか通じ合っているように思います。
そして今回、私たちがぬいぐるみたちから教えてもらったのは、「つながり」の大切さでした。当館の職員は、それぞれの得意分野を生かして、SNS でぬいぐるみたちの様子を発信したり、写真を撮影したり、他施設との調整を行ったりと、一丸となって、おもてなしの心でぬいぐるみたちの冒険を支えました。
ぬいぐるみたちは、北海道立旭川美術館や旭川市科学館、井上靖記念館にも出かけました。作品を鑑賞し、学芸員から解説を聞き、プラネタリウムを楽しむなど、普段はできない体験を重ねました。快く迎えてくださった施設の皆さまには、この場を借りて心より感謝申し上げます。
ぬいぐるみたちの小さな旅は、多くの笑顔を生み、美術館同士の連携や職員同士の協力も深めてくれました。一つひとつのぬいぐるみが、人と人とをつなぐ架け橋になってくれたのです。
芸術もまた、人と人をつなぐ力を持っています。ぬいぐるみたちが教えてくれた「つながり」を大切にしながら、皆さまに親しまれる美術館を目指してまいります。
館長 南雲 貴史
ぬいぐるみお泊まり会の様子
お泊まり会の様子
催し・講座
館長の祝日講話 「はじめての『見ないで出会う』鑑賞会」
彫刻は、目で見るだけでなく、触覚や想像力を通しても豊かに味わうことができます。
本企画では、視覚だけに頼らず、触覚や想像力を手がかりに作品に迫る鑑賞会を開催します。
指先から伝わる質感や量感、そこに漂う気配をたどりながら、参加者同士の対話を通して作品について考え、感じたことを共有します。
日時:令和8年8月11日(火・祝)(1)午前10時~(約1時間)(2)午後2時~(約1時間)
対象:どなたでも(小学2年生以下は保護者同伴)
西洋美術小話
彫刻と絵画のパラゴーネ:命を与える技(2)
背景には、濃い青色から橙色へと段階的に変化する明け方の空となだらかな山々の稜線が描かれています。画面左側には女性人物像が立ち、右側には膝をついて両手を組んだ祈りの身振りをとる男性(ピュグマリオン)が、この二人の間には生贄の雌牛が乗った祭壇が描かれています。
女性像は小さな台座に立っていることから、もともとは大理石製の彫刻であったのでしょう。ただしその肌の色は足元の黄色みを帯びた石の色とは異なり、男性と同じく生きた人間の血色をまとっています。
この女性像は右向きの四分の三観面(斜め向き)で表され、左手で下半身を覆う桃色の布を抑え、右手はひじを曲げて肩のあたりで何かを握り込むような形をしています。下半身は左足に重心をのせて右膝を緩く曲げるコントラポストの身振りをしています。
他方、男性人物像の頭部と体は側面観(横向き)で描かれ、青緑色の上衣の下に白色のシャツを着てその袖を捲り上げています。茶色のブーツを履いた足元には、彫刻制作に使う道具(金槌、鑿)が散らばり、女性像の左側に置かれた台の上にも鑿が複数本置かれています。
2人の人物像の間に描かれた祭壇は、青みを帯びた灰色の色調からフィレンツェ近郊で採石できる砂岩ピエトラ・セレーナでできていることがわかります。その祭壇には、女性側側面に美と愛の神ウェヌスと戦の神マルスが、男性側側面には、羊皮紙を模した石板が描かれ、そこには、犠牲の供物を捧げたのだから祈りを聞き届けてほしいというピュグマリオンの願いがラテン語で刻まれています(HEV / VS / VEN /
VS「見よ、ウェヌスよ!」)。供物の雌牛は祭壇の上で炎に巻かれているにもかかわらず彫刻のように固まり、その視線は女性像に漠然と向けられているように見えます。犠牲の供物と祈願者の視線が集約する女性人物像は、今まさに奇跡が起きたことを鑑賞者に伝えるかのように視線をわれわれに向けています。
ブロンズィーノは「ピュグマリオンの物語」を忠実に絵画化するのではなく、キプロスの王であり彫刻家でもあったピュグマリオンの後者の側面を作業着のような服装と彫刻に用いる道具を描くことで強調し、さらにピュグマリオンの祈りが奇跡的に成就した瞬間に焦点が当てることで、彫刻家ピュグマリオンが作った彫像に最後の仕上げを施す(命を与える)ことができるのは、画家の絵筆による着色であると主張しているかのようです。
彫刻家と画家の技を対比させる構造は、物語の表象の仕方(彫刻家であることを強調する、命を得たことを色彩で表現する)だけでなく、それぞれの人物像の着想源となった古代や同時代の作品をみていくとより鮮明になります。次回は、画家がピュグマリオンと女性像を描くにあたり参照した先行作品を検討していきます。
中原悌二郎の生涯 コラム2-1 悌二郎の家はどこにあったのか?
中原悌二郎が養子として暮らした家は、旭川のどこにあったのでしょうか
この謎をたどるには、まず明治時代の旭川の町づくりを知る必要があります。
明治25年(1892年)、北海道庁は旭川の市街地を計画的に整備しました。道路を碁盤の目のように配置し、間口約6間(約11メートル)、奥行約27間(約49メートル)の敷地を基本とする「殖民区画」と呼ばれる手法が採用されます。
より多くの商店が通りに面することができるよう工夫されたこの町割りは、現在の中心市街地にもその面影を残しています。
中原茂助の名がある所在地(2条通1丁目右1、2条通5丁目右32条通14丁目左2、2条通17丁目左5)
多くの伝記や研究書では、
悌二郎が暮らした家を「2条通5丁目66番地」と紹介しています。その根拠の一つが、明治43年(1910年)発行の『旭川町地番号及び地主名簿』で、「2条通5丁目右3号」の地主として茂助の名前が確認できます。
ところが、平成3年(1991年)、旭川市が史跡標柱設置事業を進める中で、中原家の親族への聞き取り調査が行われました。その際、「茂助の家は1条通5丁目右7号・8号にあった」との証言が得られ、当時の家の間取りまで記録されています。さらにこの聞き取りでは、2条通5丁目には茂助が土地を借り借家を建て、その一軒には茂助の姉・中原タノ(悌二郎の実母タキの妹)が住んでいたとも語られています。
(次号へ続く)
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