彫刻美術館だより vol.9 (2026年5月発行)

彫刻美術館だより Vol.9
館長よりごあいさつ
皆さま、日ごろより当館をご支援いただき、誠にありがとうございます。
今年は例年より桜の開花が早く、春らしい日が続いています。桜を楽しみながら当館の建物の魅力にも触れていただこうと、ゴールデンウィーク中に館長祝日講話「展示室の外へ ― 建具から見る彫刻美術館」を開催しました。
当日は、なるべく堅苦しくならないよう内容を工夫して臨みましたが、私が最も驚かされたのは、参加された皆さまの学ぶ意欲の高さでした。熱心に耳を傾け、ときにはメモを取りながら聞いてくださる姿が、とても印象に残っています。
プラトンの『饗宴』の中で、ソクラテスは、人は美しいものを求め、それを自分の内に取り込もうとする存在だと語っています。それが精神へ向かうとき、人は知を求め、学ぼうとするとも語っています。
現代は、スマートフォン一つで、文字だけでなく画像や動画からも簡単に情報を得ることができます。AI によって「考えること」さえ補助される時代となり、私たちは膨大な情報の中で暮らしています。
しかし、情報は、受け取っただけではまだ自分のものにはなりません。それを自ら考え、学び、自分自身の経験や人生と結びつけていくことで、初めて「知識」になるのではないでしょうか。
今回の講話を通じて、学びを求めて美術館へ足を運んでくださる方が多くいることを、あらためて実感しました。そして同時に、私自身も多くのことを学ばせていただきました。
これからも、最初は小さな「情報」だったものが、やがて皆さま一人ひとりの「知識」へと育っていくような催しを開催できるよう努めてまいります。皆さまのお越しをお待ちしております。
館長 南雲 貴史
美術館クラブ
日程:全5回 6月14日(日曜日)、7月5日(日曜日)、7月19日(日曜日)、8月2日(日曜日)、8月30日(日曜日) 10時~11時30分
講師:当館職員
場所:旭川市彫刻美術館本館研修室
参加費:2,000円(全5回分)
持ち物:汚れてもいい服装、軍手、飲み物、タオル
対象:小学4年生から中学生
定員:5名(5月31日現在、残り1名です)
申込:web申込み
ボランティア
みゅうず
運営を応援する目的で平成6年6月、彫刻美術館のオープンと合わせて、美術好きの市民によって結成されました。
現在は、20人程度の会員を擁し、彫刻美術館内に物販・喫茶コーナーを設置しています。
物販コーナーには、中原悌二郎関係の図書、その他の図録、マグネットアート、絵はがきなどのほか、木内克、加藤昭男制作のペンダント、池田宗弘制作の栓抜きなどを販売しています。
喫茶コーナーでは、コーヒー、紅茶、アップルジュースなどを提供しています。
会員を随時募集しています。活動の詳細については彫刻美術館までお問い合わせください。
旭川彫刻サポート隊
野外に設置してある彫刻を良好な状態に管理するため、清掃活動や周辺環境整備、ワックス塗布など、彫刻清掃を行うボランティアの会「旭川彫刻サポート隊」が、平成14年7月に誕生しました。
現在は約110人の方が活動しています。皆さんが日ごろ目にする野外彫刻は彫刻を愛する人たちによる旭川彫刻サポート隊の手によって、より輝きを増しています。
あなたも活動に参加して彫刻に触れてみませんか。参加を随時受け付けています。
活動の詳細については彫刻美術館までお問い合わせください。
西洋美術小話
彫刻と絵画のパラゴーネ:はじめに
現代の私達の目から見ると、彫刻、絵画、詩、音楽、それぞれ異なる領域の優劣を論じることは無意味であると思われるかもしれません。しかし16世紀イタリアの美術界では、各々の領域の特質を明確にして(言語化して)比較し、優劣を議論することが至極真面目に行われていたのです。学者や教養高い文筆家によって様々な擁護論が執筆・刊行され、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロといったルネサンス美術を代表する巨匠たちも、熱量の差こそあれ、それぞれの立場からこの議論に参加していました。
彫刻的な絵画、絵画的な彫刻、二つの領域を行き来しながら素材や技法の限界を探り、それを乗り越えようとするイタリア美術の(少々マニアックな)様相をこれからご紹介していきたいと思います。お付き合いいただければ幸いです。
中原悌二郎の生涯(2)
― 旭川へ ―

転機は、母・タキの旭川行きでした。
母の弟、すなわち悌二郎の叔父にあたる茂助は、かつて父・忠四郎の釧路の店で働いていましたが、明治26年(1893年)に旭川へ移り、2条通5丁目で同じように荒物雑貨を扱う店を開いていました。茂助夫婦には子どもがなく、以前から悌二郎を養子に、という話があったといいます。また、養母となるよしは、実父・忠四郎の妹の子で、会津若松から嫁いできた人物でした。
タキが旭川へ出かけると聞いたとき、悌二郎は自ら同行を望みました。明治30年(1897年)、九歳のことです。当時、釧路から旭川へ向かうには、まず船で函館へ渡り、そこから汽車に乗り継ぐという長い旅路でした。
旭川に着いた悌二郎は、そのまま叔父の養子になることを、自分から申し出ます。
幼い決断の背景には、釧路での日々の息苦しさがありました。十二歳年上の兄・孝平は気性の激しい人物で、悌二郎の勉強を見ていましたが、「男の子は軟弱ではいけない」という考えから、読み間違えると体罰を加えることもありました。弟の誠三が泣いても、三つ年上の悌二郎が叱られることが多かったといいます。子ども心にも、家の中に安らぎを見出しにくかったのでしょう。
後に悌二郎は、当時をこう振り返っています。
「旭川に行きたいと思っていた。十の時に母にせがんでついていった。自分から叔父の養子になると云った。旭川には小学校があった。釧路に帰りたいとは思わなかったが、母が帰っていくときはつらかった。」
自ら新しい土地を選んだ少年は、それでも母を見送る寂しさを、静かに胸に抱えていました。その複雑な感情の中に、後の彫刻家・中原悌二
郎の繊細な感受性が、すでに芽生えていたように感じられます。
なお、悌二郎の養子縁組に後押しされるように、末妹のきくもやがて茂助夫婦の養女となっています。
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