彫刻美術館だより vol.4 (2025年11月発行)

情報発信元 文化振興課

最終更新日 2025年11月30日

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タイトル

彫刻美術館だより Vol.4

館長よりごあいさつ

皆さま、いつも旭川市彫刻美術館を応援していただき、心から感謝申し上げます。

毎年11月3日の「文化の日」には、より多くの皆さまに彫刻や美術を身近に感じていただけるよう、観覧を無料にしています。
今年は昨年を大きく上回るたくさんの方々にお越しいただき、館内は活気にあふれていました。ご来館いただいた皆さまに、改めて感謝の気持ちをお伝えします。
当館では、展示だけでなく「教育普及事業」も大切な活動として力を入れていますが、これには大きく分けて二つの取り組みがあります。

一つ目は、市内の小・中学校を中心に行っている出張展示と出前授業です。美術館に来ることが難しい子どもたちにも、彫刻鑑賞の機会を目的に、所蔵作品を学校に運び、鑑賞体験や出前授業を行っています。
子どもたちの目がキラキラ輝く瞬間を目の当たりにし、私たちもたくさんのエネルギーをもらっています。

二つ目は、彫刻制作体験を中心としたワークショップです。今年度も木彫や鋳造、焼き物など、さまざまな体験を行いました。11月1、2日には、旭川彫刻フェスタの企画として、第43回中原悌二郎賞受賞作家・中谷ミチコ先生をお招きし、手探りで彫った粘土から石膏へと形を写し取る制作体験を旭川ステーションギャラリーで開催しました。そして、その次の週には、旭川駅舎で自由に参加できる粘土体験コーナーを設け、多くの方々にご参加いただきました。

これらの活動は、美術館職員だけで成り立つものではありません。関連団体をはじめ、地域で美術教育に携わる先生方や多くの方々のご協力があってこそ実現しています。みなさまのお力添えに、心より感謝申し上げます。
これからも、どなたでも彫刻に親しみ、楽しむことのできる美術館を目指していきます。ぜひ、今後とも変わらぬご支援をお願い申し上げます。

旭川彫刻フェスタ2025

旭川彫刻フェスタの記録展

旭川彫刻フェスタは、2000年から「彫刻にもっと親しんでもらおう!」をテーマに、官民協働で市民参加型の活動を続けてきました。これまでに、野外彫刻の公開制作や彫刻教室、記念展など、たくさんの取り組みが行われてきました。
公開制作では14名の作家が16点の彫刻を制作し、旭川市内の色々な場所に設置されています。これらの作品は、街の景観を彩りながら地域の皆さんの暮らしに溶け込み、親しまれています。
そして、今年で事業が始まってから25年。時代が変わっていく中でも、これまでの取り組みを大切にして、これからも『彫刻のまち旭川』の魅力を広げていきたいという思いで、記録展を開催しました。展覧会を通じて、旭川彫刻フェスタの魅力を再確認し、今後の活動へと繋げていきたいと思っています。

見えない形と見える形 粘土の中に広がる手探りの世界

このワークショップは、なんとも贅沢な企画でした!第43回中原悌二郎賞受賞作家で、多摩美術大学准教授の中谷ミチコ先生をお呼びしての講座です。
粘土は手や指で形を変えられる、柔らかく自由な素材。ワークショップでは、粘土に空洞を掘って造形するのですが、その空洞は目で確認できません。「目で見るだけではなく、手で触れて想像しながら」作品を作ることになります。
参加者は20kg~30kgの粘土の塊を使い、指や道具で穴を掘り、その中に石膏を流し込んで、作品を作りました。完成した作品はステーションギャラリーに展示され、一週間後に参加者が持ち帰りました。空洞に石膏を流し込むことで、形態が転換され、新たな発見をするこ
とができる貴重な体験となりました。「実在」と「不在」をテーマに、参加者はアートに触れ、美術に興味を持つ学生たちと交流することもできました。

ワークショップ風景1ワークショップ風景2

彫刻ねんど広場

粘土を使って、思い思いのカタチを自由につくって遊ぶ「粘土遊び」。
旭川の彫刻作品に、もっと気軽に親しんでもらえたら…という思いで開催しました。最初は「来てくれるかな…」と少しドキドキしていましたが、ふたを開けてみると、親子連れを中心にたくさんの方が遊びに来てくださり、ほっとした気持ちと、うれしい気持ちがじんわり広がりました。
さらに、旭川市科学館サイパル制作の巨大ガラポンも登場し、通常サイズでもまわすだけでワクワクするのに、小さな子どもの背丈を超えるほどの大きなサイズとあって、子どもたちはもちろん、大人の方までにっこりしていました。カプセルの中には、過去に制作した缶バッジを入れてプレゼントしたのですが、こちらもすぐになくなるほどの人気ぶりでした。
会場にはたっぷりの粘土をご用意し、参加者は手や道具を使いながら、じっくりと、あるいは夢中になって造形を楽しんでいました。中には、大人の方で約2時間かけて大作を仕上げた方も!また、「おうちでも続きが作りたい」と、持ち帰り用の粘土を手に帰っていく方もい
て、粘土ならではの気軽さと楽しさを存分に感じていただける時間になりました。

ねんど広場風景1

野外彫刻

隼の碑

隼の碑

旭川市内には、山内壮夫の《隼の碑》という野外彫刻が3基設置されています。
画像左は8条斜線通のロータリー側、画像中央は新成橋、画像右は花咲大橋にあります。
同じ「隼(ハヤブサ)」をモチーフにしているものの、それぞれに異なる表情が見られます。ぜひ、3基全てを巡ってみてください。


山内壮夫は1907年(明治40年)、岩見沢市に生まれました。
東京高等工芸学校(現・千葉大学工学部)工芸彫刻部を卒業後、新制作派協会(現・新作協会)彫刻部や全道展の創設に関わりました。
旭川市が主催する中原悌二郎賞の選考委員を務めた縁から、山内の死後、1983年(昭和58年)に彫刻原型やデッサンなどが一括して遺族から旭川市に寄贈されました。
旭川市ではそれらをブロンズ化し、街中に設置しています。

ボランティア

ボランティア紹介のページ

旭川彫刻サポート隊

旭川市彫刻美術館 ボランティア みゅうず

当館の運営を応援する目的で、2つのボランティア団体が活動しています。

会員を随時募集しています。活動の詳細については彫刻美術館までお問い合わせください。

ある日、ひとつの彫刻

吉田芳夫《白道(Byakudo Buddhist Prayer)》 
1976年(昭和51年) 第 7 回中原悌二郎賞受賞作

吉田芳夫(1912-1989)は、東京都本郷区駒込林町(現在の文京区千駄木)、父・芳明、祖父・島村俊明、伯父・白嶺といった彫刻の名家に生を受け、東京美術学校(現・東京藝術大学)で彫刻を学びました。
彼は非常に自作に厳しく、気に入らない作品は壊してしまうことも珍しくなかったため、作品数が少なくポピュラーな存在ではありませんでした。しかし、彼の彫刻には深い精神性と厳格な造形性が宿っており、社会的モニュメントを求めず、意図的な概念も排除したそのアプローチには、真摯で深遠な思想が込められています。
新制作派協会の盟友であった本郷新が「血の芸術」と形容したように、吉田の作品には彫刻一家としての血脈が色濃く反映されています。
『白道』という作品名は、仏教の「二河白道」に想を得たと吉田は語っています。火の河(怒り)と水の河(執着)に挟まれた「白い道」という象徴的な意味をどう彫刻に刻んだのでしょうか?
吉田は「彫刻家を気質に分けると、モニュメンタルな志向を持つ作家と、実在を追求する作家に分かれる」と語り、彼自身は「自分は後者である」としています。そして「未だ目処する所にたどりついていない」とも述べ、常に「実在感」を追い求めていました。彼の考え方においては、作品が作家の手元を離れた瞬間、それは「ひとり歩き」し、作者の解析や肩書きなどは一切不要だという理念が根底にあります。
また、美術学生だった頃、俳優を夢見た時期もあり、彼が追い求めた「実在感」は、形態に現れるだけでなく、虚構と実在の交錯が作品の中に息づいています。
「すべての作品は自画像である」という言葉通り、彼の哲学が彫刻という形を超えて、見る者に強く語りかけるのです。

百道

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