ASAHIKAWA 100 PRIDE~旭川偉人伝Vol.5

情報発信元 広報広聴課

最終更新日 2025年12月5日

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 市制施行100年を超える旭川市。その歴史は大きな志を抱いた、先人たちによる挑戦の積み重ねです。このコーナーでは、全国や世界で活躍されている旭川市出身の方をご紹介します。 

日本の囲碁界をけん引してきたレジェンド棋士

 数々のタイトル連覇記録を樹立し、3つの名誉称号を獲得するなど、囲碁界の歴史に名を刻んだ旭川出身の小林光一さん。現在も現役棋士として活躍し、今なお囲碁界に影響を与え続けている小林さんに、囲碁との出会いやプロ棋士としての歩み、旭川への思いなどを今津市長が聞きました。

名誉三冠 囲碁棋士(名誉棋聖・名誉名人・名誉碁聖 )小林 光一さん

昭和27年旭川市生まれ。昭和40年に12歳で木谷道場に入門、14歳でプロ試験合格。歴代4位のタイトル総獲得数60を誇り、棋聖8連覇、名人7連覇、碁聖6連覇など記録を樹立。「名誉棋聖」「名誉名人」「名誉碁聖」の3称号獲得。昭和63年から平成5年まで6年連続賞金ランキング1位、昭和60年に旭川市民栄誉賞と北海道栄誉賞受賞。平成18年から19年5月まで日本棋院副理事長を務め、平成30年に史上3人目の通算1,400勝達成。同年紫綬褒章受章。 

顔写真
名誉三冠 囲碁棋士 小林 光一さん
囲碁を打つ手
囲碁を打つ小林さんの手

人生を決定づけた囲碁との出会い

市長

小林さんは小学校まで旭川で過ごされたんですね。

小林

永山に住んでいて、正和小学校(大雪通8)に通っていました。当時、寒さが厳しくマイナス30度の日もあって学校が休校になることもありました。冬は歩いて通学していたので自然と足腰が鍛えられ、弟と一緒に相撲大会に出場したこともあります。

市長

小学2年生の時に囲碁を始められたそうですが、その出会いはどのようなものでしたか?

小林

父が囲碁を楽しむ姿を見て、自然とルールを覚えました。週末に碁会所に通っていつの間にか夢中になっていました。今考えると、囲碁を始めてからは学校の成績が上がりましたね。囲碁の効果で集中力や記憶力が向上したのかもしれません。

市長

旭川は文化のまちで、囲碁も盛んですよね。当時、碁会所はどれくらいの数あったのでしょうか?

小林

そうですね。僕がいた頃、碁会所は30か所ほどあったようです。地方棋士六段の早勢勝美先生がやっていらした旭川囲碁会館には強豪がたくさん集まり、私はそこへ行くのが楽しみでした。

市長

そこからプロの道に進むことになったきっかけを教えてください。

小林

小学5年生の時に、後に僕の師匠となる木谷 實先生が旭川に巡業で来られ、開かれた指導碁会に参加させていただけたことです。当時は、プロの世界があることも知らず、弟子になるとは夢にも思わなかったですが早勢先生のご尽力により入門を許され、天にも昇る心地でした。思えば人生の重大な決断でしたが、小学校の卒業式にも出ず、慌ただしく東京に向かいました。
碁盤
小林さんの師匠の木谷 實先生ゆかりの碁盤
碁盤のうら

市長

弟子入りされてからはどのような生活をされていたのでしょうか?プロになるのは大変ですよね。

 小林

住み込みの内弟子8人の共同生活です。朝から晩まで囲碁の修行生活で、兄弟子たちは強い人ばかりだったので、負けて悔しい思いもたくさんしました。母親から励ましの手紙が届きましたが、寂しさを感じる暇も無いくらい忙しかったです。一度だけ「今なら帰ってあげてもいいよ」なんて弱音を書いたことがありましたが、叱責の 返事が来ましたね(笑)
プロを目指す子は院生といい、当時30人ほどいました。その中から勝ち残った何人かがプロに挑める狭き門です。僕は14歳でプロになれましたが、負けて地元に帰る人もたくさんいました。内弟子生活は本当に忙しくて大変な毎日でしたが、自分を大きく成長させてくれた貴重な経験だったと思います。

囲碁界を代表する強豪棋士へ

市長

プロ棋士としての歩みを教えてください。

小林

プロになっても内弟子生活は続いていて、高校にも通っていましたが、囲碁に集中するため1年で辞めました。企業の囲碁会へ指導に行っていた時期もあります。政治家で財務大臣なども務められた与謝野 馨先生のところにも2年ほど教えに行っていました。政治家は囲碁を打つ方が多く、与謝野先生はアマ七段の実力でした。
結果が出せるようになったのは遅く、決して順調ではなかったです。四冠を達成した後、相次いでタイトルを失い無冠の危機に追い込まれた時期もありました。勝負の世界の厳しさと怖さを何度も実感しましたね。せっかくつかんだ大きなタイトルをそう簡単に手放したくないという強い思いがあったので、連覇を成し遂げることができたのかもしれません。
名人位
初の名人位を獲得した時の小林さん

情熱は変わらぬまま、囲碁の世界で活躍し続ける

市長

小林さんは、今なお現役で、日本だけでなく世界で活躍されていらっしゃいますよね

小林

最近では、試合で中国に行ったり、交流戦で韓国にも行ったりしています。囲碁はやっぱり面白いですね。今は、最先端AIがすごいですよ。シミュレーションを瞬時に行い、勝つための最適な手を計算します。人工知能の研究が非常に速く進み、ここまでくるとは思いませんでした。棋士はAIを活用して学び、そこから自分らしさを出していけたら良いと思っています。

自分の興味あることを見つけて、人生に役立ててほしい

市長

忙しい日々を過ごされる中で、旭川を思い出すことはありますか?また子供たちに向けたメッセ―ジをお願いします。

小林

毎年夏に家族で旭川に帰ります。旭山動物園やラーメン村にも行ったりします。旭川はやっぱり落ち着く場所で、東京よりもぐっすり眠れるんです。自然、食、人…どこを切り取っても大変魅力的な素晴らしい場所です。子供たちには、勉強ももちろん大切ですが、好きなことを見つけて、それをとことん突き詰めていってほしいと 思います。自分の興味を持てるものをどんどん追求していくことが大切です。囲碁や将棋、スポーツなど、競争の中で学べることは非常に多いですし、それが成長の糧になります。旭川の素晴らしい環境の中で、たくさんの経験を積み、どんどん羽ばたいていってほしいですね。自分の追求す
るものを見つければ、きっと面白い人生になりますよ。僕はちょっと変わった人生になりましたけどね(笑)

名誉三冠って? 

囲碁の棋戦で連続10回以上、または連続5回もしくは通算10回のタイトルを獲得した棋士に贈られる称号を※名誉称号と呼ぶ。小林さんは、日本の囲碁界で最も権威があるとされる「七大タイトル(棋聖戦、名人戦、王座戦、天元戦、本因坊戦、碁聖戦、十段戦)」のうち、名誉棋聖、名誉名人、名誉碁聖を獲得し、七大タイトル戦史上初の「名誉三冠」となった。
※連続10回以上タイトルを獲得した棋士は現役、連続5回もしくは通算10回のタイトルを獲得した棋士は、現役で60歳以上もしくは引退時に名誉称号を名乗ることができる 。
トロフィー
大会等で獲得したトロフィー

結び

あさひばしでは、偉人編、逸品編を不定期連載しています。旭川の良いところをみんなに広めよう!

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