史跡等表示板 旧永山戸長役場

情報発信元 文化振興課

最終更新日 2016年2月24日

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27 旧永山戸長役場

史跡等表示板

この建物は、明治26年8月、永山番外地の一角(現在の旭川市永山2条19丁目)に、石狩国上川郡永山村戸長役場の庁舎として、永山村が建築したものである。

戸長役場とは、明治初期に町村の行政事務を執行する機関として、全国的に設置されたものである。明治22年、市制ならびに町村制が施行され、以後、本土では戸長役場は町村役場と改称されていくが、しかしその市政・町村制の施行から除外されていた北海道では、戸長役場はそのまま継続される。明治30年に公布された、北海道独自の区制ならびに一級、二級町村制の施行以降、その指定を受けた町村の戸長役場は、順次町村役場と改称するが、大正12年の戸長役場全廃まで、なお一部存続していた。

明治23年9月に設置された神居、旭川、永山の三村は、初め石狩国樺戸郡月形村戸長役場の所轄下に置かれたが、翌24年7月、永山村に三村を包括する戸長役場が新設されることになり、屯田歩兵第三大隊本部官舎(現在の永山神社付近)を仮庁舎として開庁した。明治26年6月、旭川村にも戸長役場が設けられたのに伴い、永山戸長役場は、永山村と旭川兵村が所存する旭川村字ウシシュぺツの地域を所轄することとなった。その時に永山村戸長役場の庁舎として建築されたのが、この建物である。

現在の状況 建物有

明治39年4月に永山村は二級町村制施行の指定を受け、戸長役場は村役場として改称された。しかしなお引き続きこの建物は、大正10年11月に村役場が移転するまで、ほぼ30年間、永山村戸長役場、村役場の庁舎として使用されたのである。

その後、建物は民間に払い下げられ、現在の旭川市東6条4丁目に移設されて、幾多の増改築をみながら、平成4年まで民家として利用されてきた。

この建物は、北海道における明治初期の役場庁舎建造物として、きわめて珍しく、貴重な遺構である。ここに旭川市は、平成6年、解体材を利用し、戸長役場当初の姿を推定して復元した。

所在地

旭川市永山3条19丁目
永山市民交流センター敷地

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