旭川市アイヌ文化振興基本計画
はじめに
「その昔この広い北海道は、私たちの先祖の自由の天地でありました。天真爛漫な稚児の様に、美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼等は、真に自然の寵児、なんという幸福な人たちであったでしょう。」
大正期に旭川で育ったアイヌ民族の女性、知里幸恵さんが「アイヌ神謡集」序文でこのように記したように、明治政府による開拓が本格的に始まるまでの北海道は、自生の樹木がうっそうと生い茂り、川は自在に流れてそこここに湖沼をつくり、至るところに多様な生命が育まれている、厳しくも豊かな大地でした。このような大自然に包まれながら、アイヌの人々は自然への深い畏敬と感謝の念を持ちつつ、自然と共存する豊かなアイヌ文化を生み出し、幾代にもわたり伝承してきたのです。
アイヌ民族の、自分たちの生命もまたすべての生態系の一要素とみなす自然観、また植物や動物、火や水、あるいは地震や雷などの自然現象をも「カムイ」kamuy(神)として敬う謙虚な世界観には、深い感銘を受けないではいられません。
平成9年に成立した「アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律」(アイヌ文化振興法)は、「アイヌの人々の民族としての誇りが尊重される社会の実現」をその目的としています。法律に基づき財団法人アイヌ文化振興、研究推進機構という専門機関が生まれ、アイヌ文化の振興、研究等に関する様々な取り組みが全国規模で展開されております。
しかし、アイヌ文化振興法の目的は、市民ひとりひとりが豊かな自然観を含むアイヌ民族の伝統文化を学び、その普遍的な意義を知り、日々の暮らしの中でそれを尊重し、アイヌの人々と共に新たなアイヌ文化の創造にたずさわったときに、真に達成されるのです。このような市民によるアイヌ文化振興を可能にするために、北海道や旭川市などの地方自治体が果たすべき役割はたいへん大きなものがあります。
旭川市では、こうした考えに立ち、上川の地とアイヌ民族の長い関わりをあらためて思い起こしながら、先住民族であるアイヌの人々の自然と共存する文化をともに学び、大人も子どもも、この旭川に住む私たちの心が豊かになるような自然あふれる文化的なまちづくりを推進するために、「旭川市アイヌ文化振興基本計画」を策定いたしました。
この計画は、長期的な展望に立って、今後の旭川市におけるアイヌ文化の振興と理解の促進のため推進する施策を総合的に示したものです。旭川市は、この計画に基づきアイヌ文化振興のための責務を果たしてまいります。
21世紀を迎えた今日、人類はその存亡にかかわる重要性と緊急性をもつ課題に直面しています。ひとつは生物多様性の保存を脅している地球環境の悪化であり、もうひとつは各地で頻発している異民族と異文化間の紛争です。この時期にあたり、アイヌ民族の英知とその歩みからの示唆のもとに、旭川市においてアイヌ民族と和人とが共に手を携えながらこの課題に真摯に取り組むことができれば、地球のよりよき未来への確かな提言をすることにもなるのです。市民の皆様の基本計画の推進へのご理解とご協力をお願い申し上げます。
基本方針
アイヌ文化は均一ではなく、北海道の地域毎にそれぞれの自然環境に応じた物質文化や生活様式が成立しています。上川地区は、胆振、日高地区や十勝、釧路地区などと並んで、特徴あるアイヌ文化が発展した地域です。
石狩川のカムイコタン kamuy-kotan(神・村、現在の神居古潭)より上流に居住し、ペニ ウン クル peni-un-kur(川上に・居る・人)と呼ばれていたいわゆる上川アイヌの人々は、上川盆地、大雪山連峰、石狩川流域を中心とした広大な自然を舞台に独自の文化をつくり上げました。そして、開拓の進展につれ激しさを増した同化政策と都市化の荒波の中で幾多の苦難に直面しながらも、民族の誇りを持ち続け、自立自尊の精神で自らの伝統文化と暮らしを守り、次代に伝えてきました。
アイヌ語に由来する地名や数多くのアイヌ民族の文化遺産が示しているとおり、旭川の歴史は、この地域で生きてきたアイヌの人々の伝統や生活を基盤に築かれたものであり、アイヌ文化を考えずに旭川の文化を語ることはできません。アイヌ文化の振興は地域文化の新たな発展でもあるのです。
さらに、自然志向や環境重視への価値観の変化などを背景として、自然とのふれあいや環境への優しさのある地域づくりが求められている今日、アイヌ文化は過去ではなく未来のものとして受け継ぐことが望まれています。
旭川市は、「アイヌの人々の民族としての誇りが尊重される社会の実現」を目指し、次の基本方針に立って施策を推進します。
1 アイヌ文化の伝承、振興
上川盆地の川と山に育まれた個性的なアイヌ文化とその伝統こそ、旭川のアイヌの人々の自立自尊の精神の源です。近代の過酷な歩みを経ながらも、献身的な努力により今日まで絶えることなく伝承されてきた旭川のアイヌ文化を、現在の社会や生活の中に活かし、将来に向かって発展させることができるよう、文化の伝承、振興に携わる人々を支援します。
2 アイヌ文化の理解の促進
広く市民が、アイヌ文化を旭川の基軸文化の一つとして理解するとともに、現代社会が必要としている自然調和的な生活態度を学ぶことができるよう、アイヌの人々の知恵や経験をまちづくりに反映しながら、アイヌ民族の伝統や文化についての知識の普及と啓発に関する事業を実施します。
また、市民が旭川におけるアイヌ民族の苦難の歴史を学ぶことができる環境を整備することにより、無理解からくる偏見や差別の解消を目指します。
基本的方向
- すべての市民が、アイヌ民族の文化に気軽にふれ、その奥深い世界を学び、楽しむことができるよう、旭川市は、市内の公共及び民間施設の充実と連携を図り、文化伝承活動のいっそうの推進を図るとともに、アイヌ文化の伝承、発展、普及への献身的努力が経済的に保証されるような環境づくりに努めます。
- 市民が毎日の生活の中でアイヌ文化にふれ、その精神を尊重するための第一歩として、旭川市は、アイヌ語に由来する河川などの地名を、表示板などにおいて日本語とアイヌ語とで併せて表記することにより、誰もがアイヌ語に日常的に親しむことができるようにします。
- 市民が幼いときから生涯にわたって、アイヌ文化に親しむとともに伝承活動への理解を深めることができるよう、旭川市は、独自の冊子やビデオ等により、子どもも大人もアイヌ民族の信仰、食生活、言語や歴史などを広く学ぶことができるようにします。
- 旭川のアイヌ文化は、雄大な大雪山連峰と悠々たる石狩川の恵みに育まれた文化です。旭川市は、神居古潭、嵐山公園、突哨山など市内に残る自然をできる限りそのままのかたちで維持することにより、誰もが自然と見事に共生したアイヌ文化の素晴らしさを自ら体験できるようにします。また、その山と川の自然を生かしたエコツーリズムにより旭川のアイヌ文化を外に向かって発信します。
- 北海道開拓の過程で一方的に虐げられてきたアイヌ民族の歴史を思い起こし、日本国憲法にうたわれた真の平等が実現できるように、旭川市は、アイヌの人々の教育、就業、福祉を支援するとともに、市においてアイヌ文化を学び、伝承、普及活動に関わろうとする人々を、アイヌ民族であるとないとにかかわらず積極的に支援します。
- アイヌ文化が豊かに生かされた旭川のまちをつくるためには、施策の企画や推進に市民ひとりひとりが、それぞれの持てる力で参加、協力していくことが大切です。そのために旭川市は、市民から毎年、アイヌ文化の振興に役立つ取り組みや行事などの提案を求め、行政や企業等がそれを支援するような仕組みをつくっていきます。
基本計画の体系
アイヌ文化振興基本計画(目次)