郷土芸能 永山獅子舞
永山獅子舞(獅子舞)
保存会の名称
永山獅子舞保存会
代表者: 会長 千代 英治
主な伝承地
永山
設立年月日
昭和39年
会員数
12名(平成31年3月末現在)
活動状況
7 月 1 日: 永山神社例祭(永山地区) 10名
9 月16日: 北の恵み食べマルシェ(常磐公園)郷土芸能発表会 10名
練習状況
6月2回、永山交流センターで実施。
由来と沿革
富山県黒部市若栗地区の獅子舞に由来するものといわれる。
富山県出身で踊りの好きな永山村在住の山瀬宅一、平沢作次郎、宮崎新作、谷野幸治郎ら青年たちが、昭和4年に当麻村に住む富山県出身の砂田氏のところへ三十余日自転車で通い習得したものである。
昭和39年には保存会を結成し、全町的に募金をつのり保存維持につとめてきた。
なお、平成6年3月15日と16日の両日にわたり、永山獅子舞及び豊田獅子舞の由来地との伝承がある富山県黒部市若栗で聞き取り調査を行った。聞き取りは、黒部市教育委員会と、若栗の獅子舞を伝承する中村獅子舞保存会から行った。その結果は次のとおりである。
若栗地区の中村集落(戸数43戸)では中村獅子舞保存会が今も厳密に昔ながらの獅子舞を伝承している。永山獅子舞、豊田獅子舞とは連絡、交流も持たれている。
永山獅子舞にこの若栗の獅子舞を伝えたのは、当麻町に入植した「砂田」氏となっているが、この砂田氏は、近年までこの中村獅子舞の師匠格として後進の指導に当たってこられ、獅子舞の名人といわれた故砂田勝二郎氏の弟、砂田幸作氏であるということを、勝二郎氏の息子である源六氏から聞いている。勝二郎氏は長男であり、次男である幸作氏と三男が渡道したのであるが、三男は獅子舞が得手ではなく、伝承に当たったのは次男の幸作氏であるという。
永山獅子舞は、ビデオで見るかぎり、装束がまったく違い、また舞のしぐさなどに若干の違いはある。しかし全体としては大変良く似ている。中村獅子舞は、踊りの所作から装束の色柄に至るまで、きわめて厳格に昔ながらのものが守り伝えられてきているが、北海道に渡り、装束から舞に至るまで少しずつ変化が生じるのはむしろ当然のことと思われる。
中村獅子舞は、基本的に地元の若埜神社の秋祭りに年1回舞っている。祭り当日は神社を出発し、集落を巡っていく。集落を巡っていく際には、道笛を吹きながら歩いていくが、招待された家の手前で曲調が変わる。さらに観客が集まるまで別の曲が演奏され、獅子が横になって舞の準備が整い、舞が始まる。こうして次々家を巡っていくが、現在ではこうした正式な形がかなり省略されて行われている。
現在は43戸ある中村の集落だけを対象にして回っているが、昔は若栗全体を回っていた。日清戦争のころ人手が足りなくなり、それ以降、若栗全体を回らなくなっていったようだ。
集落を巡る際には、不幸のあった家などは静かに素通りしていくが、そうした配慮は獅子舞の道化であり、いわばディレクターである「願念坊」(がんねんぼう-いわゆるヒョットコで、坊主の扮装をしている)がさりげなく指示する。願念坊は、村の動向や世間の知恵に通じ、細心の注意が求められる重要な役回りである。
こうして一日がかりで町回りを終え、夕方神社に向かう。神社前の大松明をくぐり、鳥居から参道を「大門先」の曲で通って拝殿を3回半回り、拝殿前でお払いを受ける。大松明は数メートルもある長大なものだが、道路がアスファルト舗装になり、火熱で穴が開くため禁じられ、20年ほど前から製作していない。奉納舞は、「獅子起し」から始まり、演目の全てを行うもので、40、50分を要する。演目は「獅子おこし」「道笛」「代神楽」「草神楽」など20種ある。
芸能の構成
笛6人、締太鼓1人、拍子木1人で、舞には天狗、獅子、ひょっとこ、おかめが登場する。
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