郷土芸能 嵐山笠踊り

情報発信元 文化振興課

最終更新日 2019年12月5日

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嵐山笠踊り(その他-風流系)

保存会の名称

嵐山笠踊り保存会
代表者: 会長 森内 恒夫

主な伝承地

江丹別町嵐山ほか

設立年月日

昭和45年8月25日

会員数

13名(平成31年3月末現在)

活動状況

10月9日 旭川郷土芸能発表会(常磐公園)

平成30年度の主な活動

8月11日: 嵐山盆踊り大会(嵐山中央会館広場) 55名

9月1日: 嵐山神社奉納嵐山神社祭 カラオケ大会(嵐山中央会館)58名

9月16日:食べマルシェ 郷土芸能発表会(常磐公園) 14名

10月28日:嵐山小中学校文化祭(嵐山小中学校体育館) 16名

練習状況

発表会前の1週間くらい練習を実施。

由来と沿革

大正期に嵐山地区で創始されたものである。

明治40年春、上原萬吉が徳島県から父母と共に上川郡鷹栖村下江丹別(現嵐山)所在の田中農場に小作人として移住、大正10年名寄市に再移住した。その後、毎年盂蘭盆には父母の墓参に下江丹別を訪れていたが、大正14年8月に訪れた際、仕事の合間に師匠について習い覚えた民謡等を村内青年に指導した。青年らは納屋に集まって1週間がかりで八木節、安来節、鴨緑江節、磯節、花笠節を習得、またこの民謡の踊りの振りつけ、衣装、道具についても指導を受けた。

このときの習得者は、歌及び振りつけが加藤保男、太鼓が神野忠夫、笛が松木音五郎、踊りが加藤忠義、牧野三義らであったが、彼らは早速9月1日、9月2日の村の氏神の祭りの余興として踊り等を披露した。これが意外と好評であったため、機会あるごとに練習を重ね、翌年からは神居、神楽方面からも大勢見物客が訪れるようになった。

昭和初年には、神居、雨紛、鷹栖、伊納等各地で依頼されて余興の舞台を踏み、産青連芸能大会でも幾度か優勝したという。その後昭和8年には、現嵐山小学校前に舞台装置付き青年会館を建設した(昭和54年9月16日付、加藤保男、神野忠夫記録:保存会蔵)。

現在では、八木節(補足1)に合わせて踊る笠踊りだけが伝承されてきており、地元の嵐山中学校の生徒を中心に後継者の育成が行われている。

(補足1)八木節は、栃木県足利市を中心に伝承されてきた民謡で、大正中期に八木宿近くの堀込源太らによって現在の形に改められた。以来、八木節あるいは源太節と呼ばれる。

芸能の構成

八木節の唄に合わせて、横になって踊る。唄の文句は八木節であるが、節回しは踊りに合わせた調子で、元唄とは異なる。

おはやしの構成は、音頭とり1名、宮太鼓2名、笛1名、すり鉦1名である。

踊りは、昔から5人が最適とされてきたが、現在ではステージ映えを考えてより大人数となっている。

装束は、白いズボンに白いワイシャツ、白の靴を履き、その上から青いハッピをまとって、白のたすきをかける。女性は白の短パンを着ける。靴下と腰ひもは赤で、腰しもは蝶々結びとして左側に50センチメートルほど下げる。両腕には鈴をつける。

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