旭山動物園ヒストリー・その(1)

最終更新日 2016年2月24日

ページID 008758

印刷

開園、草創の時代(昭和42年から昭和51年)

昭和42年、日本最北の動物園として、旭山動物園は開園しました。開園日は土曜日の小雨の中、各国大使も参列する中、盛大に行われ、翌日曜日は5万人近い来園者、開園1ヶ月で当初目標の3倍以上にあたる15万人以上の来園者があったといいます。また、当時から「市民に安価な休養施設を提供しよう」という観点から入園料は安く、大人100円、中学生50円、小学生以下10円でした。
開園の頃は図鑑でしか見たことのない動物たちの姿、形を見られること(これを形態展示といいます)で、みんな満足して帰って行きました。しかし、それだけでなく、動物たちはこんな高い知能・能力を持っているという観点から、動物たちに芸をさせるサーカスみたいな事もやっていました。今では考えられないことですが、これは当時の動物園界では広く行われていたことで、これこそが来園者を満足させられると信じられていました。しかし、現実には動物ショーを見るために来園する人はそれほど多くなかったといいます。
開園早々問題になったのが水の問題でした。当初、地下水を利用する計画でしたが数年で挫折し、水道水を使うことになりました。
動物たちは、この当時から寒さに弱いはずのゾウやキリンも冬期間屋外に出していました。彼らにとって寒くても日光にあたることはとても重要だったようです。「初めはふるえ、すくんでいた。が、今はすっかり慣れ、外に出るのを喜んでいる」とは当時の新聞に載った飼育員の言葉です。哺乳動物の環境適応性の高いことにみんな感心したそうです。
その後入園者は年間40万人程度で安定しました。地域の動物園として、市民に親しまれる動物園として育っていったのです。そして、第2次ベビーブームの到来と共に、新たな方向性として本来プラスアルファーの部分であったはずの遊園地の比重が大きくなっていくのでした。

開園当時からの施設

  • 総合動物舎
    昔は管理事務所もあり、屋上にも登れたとか。双眼鏡もあったそうです。
  • タコ水道
  • 遊具作業所
  • 園内トイレの一部